措置入院から退院して1年が経った。
陽性症状が出ていた時に脳の損傷を受けたためか、私は表現力の乏しい人間になってしまった。
前なら簡単に出てきた言葉や表現がなかなか出てこない。
文章も書けない。
そんな状態で何とか一年生きることができた。
家族に支えられたおかげで生き続けることができた。
こう何もできない状態だと何のために生きているのか分からなくなることがよくあった。
私は20年間ほど特に知的活動に従事して生きてきた。
その活動ができなくなってしまい、本がほとんど読めなくなってしまい、文章が書けなくなってしまった、考えることができなくなってしまったのは大きな痛手だった。博士論文や研究活動など、諦めなければいけないこともあった。
だけど何も文化的なことができなくとも、ともかく生きることが大切だと思っている。今は少しずつでも自分の言葉を取り戻していければいいと考えている。
いや、むしろ新しい言葉を作ればいいのかもしれない。病を得てこそ意味を持つ新しい言葉を。
今の心をありありと映し出すような言葉を生むことができたらと思う。
少しずつで構わない。やはり私は言葉の使い手として、表現者として生きたい。
都市に生きようが農村に生きようがどこに生きようが関係ない。
私の生きる原動力は、言葉と感性の中にある。それは間違いない。
これからも表現者として生きていく。
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