お久しぶりです。最近また投稿が滞っていましたが、私は結構元気です。
一時は暗い日々を過ごしていました。今も症状は変わらず、なのですが、何となくメンタル的には元気になってきています。理由はいくつか考えられます。
1.すきゾのLINEグループに依存して、弱音を吐き出している : 本当に一日中ずっとチャットしているような状態になっています。そこで弱音を吐き出すと誰かが反応してくれるのでとても嬉しいです。だんだんと自分は一人じゃない、闘病しているのは一人じゃないんだと思えるようになりました。
2.旧Twitterで思いを吐き出し、交流をしている:闘病垢と題して病気の人たちやその他フォロワーと交流することができています。そこでも希死念慮を吐き出してしまったりして慰められたりしていました。時間が経つごとにつながりを感じるようになり、ここでも一人じゃないと思えるようになってきました。
3.自分の闘病記を書いて読んでいる:この威力がとても強かったように思います。統合失調症の陰性症状に慢性的に苦しんでいた(いる)自分にとって、自分の状況を文字に、言葉にすることは自分と自分の人生を客観視する、いい行動になりました。私はこれまで多くの変化をして生きてきて、これからもきっと変化していく、色々な人に支えられて関わって生きてきたのだ、と実感することができたことは、私の中に足りていなかった他者性を加えてくれることになりました。書くことが下手になった私ですが、それでも言葉を並べて、それを実際読んでみることによって、読むたびに気づきを得ることができたのです。私はずっと頑張って生きてきていた、それを実感することができ、自分の人生を好きになることができました。闘病記は7万字書くことができました。絵や短歌も入れています。
4. 当事者とのつながりが意識できるようになってきた:1、2と似ていることなのですが、統合失調症雨の当事者の友人ができ始めてきたことがあります。チャットをしたり通話をしたりして支え合えるようになってきたのも、生きる喜びになってきました。
5.当事者アーティストと名乗ることにした:当事者アーティストと名乗ることによって、自分の人生を遊んでやろうという気持ちも芽生えてきました。視野が狭くなっていたけれども生き方をアートすることによって、色々なことに挑戦してやろうと思えてきたのです。
6. 精神科医の主治医に希死念慮について相談したら実現可能なハードルの低い目標を立てるといいと言われました。それを実行するようにし始めたのも希死念慮をなくす良い行動だったのかもしれないです。一人で抱え込まず相談してみるということ自体が良かったのかもしれないです。
7.統合失調症の治療法に薬物療法に頼らない「オープンダイアローグ」(開かれた対話)という手法があるのを知り、可能性を感じたということもあります。今は本はよく読めないけど少しずつでも勉強していこうという気になりました。
そういうことをしていたら、なぜか希死念慮というものはなくなり、もっと生きたいという欲求が生まれてきました。それは私にとってはとても嬉しいことでした。少しですが夢も生まれてきたのです。統合失調症の自分も、動けない自分も愛してあげよう、と思えるようになりました。
これからも発信を続け、今の自分でしかできない表現を追求していきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします🌿
コメント
こんばんは。Xでお世話になってるかずです。読ませていただきました。良かったですね!応援してます。
かずさん、ありがとうございます。希死念慮なくなったと思ったら家族のことで動揺しまた出てきてしまいました、当事者仲間との会話を経て、今は落ち着きました、やっぱり私は寂しいみたいです。