以前の記事にも書いたけど、私はできることが少なくなった。健常者時代は「できることを増やしていく」のが人生の目標だった。だから常に学習・活動していたし、やりたいことはいくらでもあった。 できないという世界線
今の私はできることはほとんどない。できないことばかりで囲まれている。外出できない、集中できない、考えられない、研究できない…できないのオンパレードだ。
以前はそんな状態になったことを恨んでいた。だけど恨んだところで、できないことは変わらずできない。もうこのできなさこそを受け入れて生きていくしかないのではないかと思ってきた。できない自分こそを抱きしめてあげるのだ。
私はもう健常者だった頃の自分には戻れない。だけど今の自分には今の自分で価値がある。生きているという価値が。それは私が思っている以上に深く重い価値なのだということを最近知った。
私はずっと能力主義だったのだ。だけどもう私は能力を高めることはできない。ならばどう生きるか。できない/できるの次元で生きることをやめ、今ここにあることに意識をむけて、今ここにあることに自信を持とうと思う。急性期には妄想の中で飛び降りたこともあった、死んでいてもおかしくない命だった。
第二の人生を障がい者として、できない存在として自信を持って生きていく。そのあり方からこの世界の誰かが「こんな私も生きていていいのかな」と思ってくれるのなら、私が生きている意味はあるということになるだろう。私は社会に必要とされたい。私が存在することで社会が少しでもよくなってくれればいいなと願っている。
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