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《チグハグな愛》病気で離れた友人について

病気で私が壊れるまで、私にはずっと私を応援してくれた友人がいた。10年超、中身の濃い交流をしてきた友人だった。

彼は男性で、異性の友達だったけど、いわゆる異性的な関係になったことは一度もなく、本当に友人としてずっと友情を温めてきた。一度居酒屋で大きな喧嘩をしたことはあったけど、それでも時を経て仲直りをして、また一緒に飲んだり、本や政治の話をしたり、本当に困ったときは相談に乗ってもらったりする、目に見えない確かな繋がりがあった。彼は、繊細で怒りっぽいところがあるが、頭が良く、しっかり者だった。冷たいように見える人だったけど、思いやりがあった。

私はその彼のことがとても好きだった。いつも話していて楽しいと思った。尊敬していた。恋愛感情は持ったことがないと思っていたけど、恋愛感情をこえるくらい特別な存在だった。特別というのが一番しっくりくる彼への感情だと思う。私にとって彼は、常に私と別の視点を提示してくれる絶対的他者で、他に代わりがいない存在だった。年下だったけど、お兄ちゃんみたいな存在だったといえるかもしれない。

私は病気の急性期で頭のおかしくなっていた時に、その彼に対して自分の欲求を押し付けるようなことをしたのだという。人からのまた聞きで、記憶もほとんどないから、自分のしたことの酷さが自分でわかっていないが、私は彼に罵詈雑言を吐いたらしかった。取り返しがつかないくらいのことをしたようだった。

退院後、共通の友人からなんとか連絡先を教えてもらい、どうにか連絡してみたが、返信が返ってくることはなかった。私は怖くて電話をかけることはできなかった。自分で自分のしたことを本当に心から悔やんだ。

私はかけがえのない存在を失った。私が積み重ねてきた友情は私の「奇行」により破壊された。恩師は「時が必要で、時が解決してくれる」という助言をくれたが、私は多分その時は来ないと思っている。もう取り戻すことができないくらいのことを私はしてしまったのだ。暴走した中枢神経は私をここまで追いやったのだ。

彼は私にとって親友というに相応しい人だった。最近は毎日彼に会いたいと思ってしまう。彼は私の人生の核に触れる存在だった。せめてまたやりとりができるようになればいいのにと願ってしまう。

私はそう簡単に人を信用することができない。表面的なやり取りにはうんざりしてしまうし、価値観が合わない人とはどれだけやり取りを重ねても心は近づかないと思っている。人間関係は理屈ではないが、相性は確かにある。

今の私にできることは、ただ彼が幸せでいることを願うことくらいだ。そう思うともうかかわらない方がいいのかもしれないとも思う。迷惑な厄介者の私がかかわらない方が彼は幸せに生きていけるのではないかと。

ただ私は自己中心的な人間だから、やはりもう一度会いたいと思ってしまう。会わなくとも、せめて交流はしたいと思ってしまう。その願いは叶うのだろうか、分からない、分からないがずっと願い続けてしまうだろう、私にとって、彼は親友で、大切な時間と心を分けあった存在なのだから。彼への愛情を持ち続けることは、私が生きながらえる理由だと言っていいくらい、私の中の彼は特別なのである。

まさか人生でこんな形で彼について書くことがくるとは思わなかった。こんな形で書きたくなかった。

彼はこの文章を読むことはない。だけど、だからこそ、ここにもう彼について書いてしまおうと思った。うまく書けてはいない、でも書いた。なぜ書いたのか?そのくらい大切な存在だからだ。

繰り返すが、私にとっての彼は絶対的他者だった。もう会えない私の他者の幸せを私は生涯祈り続ける。

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