私には昔、バンドマンで3歳年下の彼氏がいた。私は急性期にその彼にも攻撃をした。
どのように攻撃したのかというと、私の記憶が正しければ、年上の私に対して敬語を使え!と言ったり、彼のバントが解散したのは私のことでメンバーが揉めたからだという誇大妄想をして、それを本人に喧嘩腰で伝えたりした。私は妄想時、関係する男性ほとんどから好意を持たれているという誇大妄想に取り憑かれていた。
今考えればとても恥ずかしい話だ。いまだに穴があったら入りたくなる。
退院後、その彼にも連絡を取ってみたが、応答はなかった。もう呆れられてしまったのだと思う。仕方ないことだが、とても悲しくなった。私は温厚な彼にも見捨てられてしまった。
だけど私はまだその彼に会いたいと思ってしまう時がある。もう恋愛感情はないと思っているのに、彼に会いたい、彼に会いたいと考えてしまうのだ。これは多分防衛反応のようなものなのだろうなと思う。誰にも相手にされなくなった私が、過去の思い出に縋ろうとする必死の防衛反応だ。私は今でも彼に会いたいと思う。
彼とは4年くらい付き合った。付き合ってすぐに私の留学のためにいきなり遠距離恋愛を経験し、それを乗り越え、同棲もして、当時は結婚も約束していたが、私が大学院に進学するために東京に行ってから3ヶ月くらい経った後、別れた。私が振られたのだ。
今でも覚えているが、いつも私は相手を挑発するように「もういいよ、別れよ!」と口走ってしまい、それを宥められるということをそれまでも3回くらいは経験していた。でも別れが決まった時は、初めて彼が「そうしよう」と同意したのだった。それで私は「何言ってるの?」と動揺し、別れは揉めに揉めた。
私は彼が大好きだったからだ。彼はもう家族みたいなものだった。付き合う時も、私から彼を好きになって告白して付き合うことになった。当時彼には別に付き合っている人がいたのに、私は告白をして、彼は彼女と別れ、私と付き合ったのだ。
かつて、私たちは真剣に愛し合っていた。あんなに感情をぶつけ合う人とはもう出会えない、と私はどこかで思っているところがあった。だから結局別れてからも10年くらい引きずった。他に好きな人ができて忘れても、やっぱり最後に帰りたい場所として浮かび上がってくるようなところがあった。
だけど別れるときに彼は私に「合わないところがあった」と言ってきた。その時、私は合わないところなんて誰にでもある、と思ったが、確かに私たちには合わないところがあったのかもしれない、と今は思う。音楽の趣味、みたいな話で、生き方に合わないところが確かにあった。ドラマティックな人生を望むかどうかみたいなところで違いがあった。彼は望まず、私は望む方だった。
彼は穏やかと言われるタイプだった。保守的なところもあり狙った獲物は決して逃さないような狡猾さもあった。足が遅いけど遅い足で一生懸命走るような人だった。
彼は私と別れてよかったと思う。彼は今、結婚して幸せに暮らしている。子供もいる。私と別れて半年で別の女性と付き合い、多分その女性と結婚した。
彼と別れて、私は一人になった。
私にとって彼はそういう存在だ。別れた後もなんとなくたまに連絡は取り続けていた。
私にとっての彼は幸せな過去で、別れた時は毎朝、目覚めては信じられなくて泣いた。
かつては毎日「ずっと一緒にいよう」と約束していた。付き合ってすぐに彼の子供が産みたい!と思って、それを伝えると「それいいね」と言われたりもしていた。
だけどその世界はもうどこにもない。彼もそれは彼の音楽の中で多分書いていた。
私は一人で、今や病気になり、不幸になった。
だけどもしどこかでまだ重なるところがあるのだとしたら、彼と私は「作る」方にむかって同じ方向を向いていたということ、それだけだと思う。
実際今の私には方向なんてない。ただ生きるのに必死でいるだけだけど、それでも陰性症状の静かな創作意欲はある。その創作意欲は、人間としての私の最後の、本当に最後の足掻きだ。
彼は私を一人にした人、そんな彼を私はいまだに恨みながら、どこかで大切に思っている。
演歌みたいな話になってしまった。私が実は演歌が好きなところも合わなかったところなのかもしれない。音楽性の違いで別れたと言うことなら、納得もできる。嘘だけど。
ようやく彼について書くことができて、それがどんなに辿々しいものであっても、私は少しホッとしている。
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