今の私の脳はどこが悪いのかよくわからない。MRIでは異常なしと言われたからだ。
だけど記憶力、理解力は格段に落ちた。一度聞いただけでは名前や情報を覚えられなくなったし、物事の複雑な描写もすることができなくなった。豊かだった感受性を含め、私の能力は全体的に下がった。
よくなることを期待して一年半年過ごしてきたが、良くなるどころか悪くなっているようにすら感じられる。長い長い抜け道のないトンネルの中で、前に進むこともなく、立ち止まっているような感覚だ。生き地獄を感じることもよくある。
能力が下がったことは、悔しい以外の何でもない。私は元々一匹狼みたいなところがあったから、もし能力さえ落ちることがなかったら、今ものびのびと生活していたかもしれない。だけどこの病気は私から多くを奪った。人間関係だけでなく、記憶力、理解力、言語能力など今まで積み重ねて育んできたものも無惨に奪った。私の人生は大転落した。
認知機能障害が改善するための努力を私はもはやほとんどしていない。しいて言うならこのブログを書き続けることくらいだ。でも何かが改善しているような感覚を得ることはない。平行線を辿っている感覚だけ、いやもしかしたら自分について書き過ぎて余計事態を悪くしているかもしれない。今日はそんな悪夢も見た。私は書いて、それを公開することで、墓穴を掘ることしかしていないのではないか、と。
それでも私は書くことをやめたくない。認知機能なんてもう一生改善しないかもしれない。だけど書き続けてみたいと思う。書くことは生きること、夢についてでも家族についてでも、この変わり映えのないこの地の生活についてでも書き続けていきたい。ネタはもう尽きつつあるが、それでも嘆きの文章を書き続けてみたい。
病後に書いた文章でも、今ではもうよく覚えていないような過去についての文章を書いている時もあるし、あまり病前と病後を分け過ぎないほうがいいのかなとも思っている。病前の自分だって未熟で至らないところも多い人間だったし、能力が落ちても、体重が太っても、私という存在は変わらず評価されここにい続けるのだから。
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