闘病は決して私一人だけの問題ではない。周りにも影響を与えてしまう。でもここまで追い詰められて初めて、結局人は孤独なのだということが良くわかった。結局のところ病気と闘うのは私個人で、他の人たちは外野でしかない。命は一つしかないように、病気を体験できるのも当人のみなのだ。
当事者を含め、親身になってくれる外野は「良くなる」と言ってくれるが、2年あまり闘病した身からすると、そのようなハッピーエンディングは分かりやすいドラマの中だけの話で、現実にはなかなか見込めない。少なくとも私の病状においては当てはまりそうにない。私には陽性症状はもう出ないし、私の余生は、認知機能障害と陰性症状に苦しめられて生き続けるのみなのだ。
病状も人間関係も時間をかけて悪くなっていくような気すらする。この手からポロポロと大切なものがこぼれ落ちていくような気がするのを私は止めることができない。人はどうかしれないが私の病気はそういうものらしい。それくらい私の脳の機能低下は深刻なものだ。
このような暗くなる状態ででも、生きているためにはどうすればいいのか。私にはもうほとんど何も残されていない。それでもどうにか寿命まで生きていかなければならない。
両親にはついに今日の夕食後「私も健常者のように生きたい!」と打ち明けてしまった。両親は何も言わなかった。
でも私はもう健常者のようには生きられない。脳の機能も改善するかどうかは分からない。私は退屈で苦しくて、どうにもならない気持ちになる。
明けない夜はある。少なくとも脳の病気においては。毎朝目覚めるたびに「治っていない」と思い、現状にガッカリする。
だけど、無理に前向きに生きなくても生きていくことはできる。私の苦しみも辛さも、私が生きていることの証だ。私はこの苦しみを誰にも馬鹿にさせない。私の闘病は誰にも奪えない私の生命だ。
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