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落ちぶれることと自分の本質

私はすっかり落ちぶれた。病前まではいつも周りに人がいて、人に囲まれて生きていたのに、今は家族の中でも厄介者だ。こんな状態になっていることがいまだに信じられない。人がいなくても能力があればいいのだが、能力もない状態だと、生きているのが本当に辛くなる。なぜまだ生きているのか?

だけど恩師は昨晩「君の本質はちっとも落ちぶれてなんかいない」と言ってくれた。本当に恩師の言葉には救われている。あんなに急性期に恩師に迷惑をかけたのに恩師はまだ私の相手をしてくれている。「病気だったから仕方がない」と言って。本当に寛容な、懐の深い人だと思う。

恩師からは「世間のつまらないフィルターで自分を見るからつまらない自分しか見えない」と言われたが、私は世間のつまらないフィルターで自分を見ていたのだろうか?わからない。

私の社会的地位は確実に下がった。健常者から障害者になった。人が離れていった。仕事ができない人間になった。それでも私の本質は落ちぶれていないのだろうか?そうすると私の本質とは何なのかと思えてくる。

私の本質とは魂みたいなものなのかもしれない。カフェで働くのが好きだった自分、絵を描くのが好きだった自分、書くことが好きだった自分、語学が好きだった自分、人と話すのが好きだった自分、ヨガが大好きだった自分、そんな色々な自分の核が本質として浮き上がってくるのかもしれない。本質とは捉えるのが難しいものだと思う。だけど恩師から、私の本質は何も変わっていないと言われたことは病気に負けていない、真っ直ぐさがあった。

世間のつまらないフィルターで自分を見るのではなく、今の自分をまっすぐ見つめられる強さが持てればいいなと思う。私は今、必死に生きている。それだけでそこに私だけの強さが浮かび上がってくるようにも思える。たとえ地獄と隣合わせの生だとしても、生は生だ。

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