主治医から病気が治ったら何がしたいか?と聞かれたとき、私は咄嗟に東京や金沢に旅行にいきたいと行ったが、それ以外にもやりたいことは沢山ある。
やっぱりカフェで働きたい。カフェでカフェラテやカプチーノを作って客をもてなしたい。そういう意味で前のバイト先は理想的な職場だった。人間関係では悩むこともあったが、楽しい仕事しかなかったからだ。大量のクリスマスケーキを売ったのもいい思い出だった。まさかハラスメントの目撃で辞めることになるとは思わなかった。あの頃の私はまさに陽性症状の真っ盛りだった。周りに散々食ってかかったのを覚えている。何がしたかったのかよく分からない。
映画館に行って映画が観たい。今の私は2時間の映画が続けて観れないのでなかなか厳しいが、映画館に行って映画が観たい。私は映画館に行くのが大好きだった。米国でも一人で夜に映画を観に行った記憶がある。ノンアルコールのジンジャービールを飲みながら映画を楽しんでいた。
読書がしたい。やっぱりこれに尽きる。難しい表現の文章を読みながら、ゆっくりと思考を巡らせたい。かつてはそれが生きる大きな喜びだった。
ドライブがしたい。長距離運転は疲れてしまってできなくなってしまったが、前のように福島や新潟、長野に足を運びたい。私は運転も大好きだった。
一人キャンプがしたい。一人で焚き火をしながらぼーっと火を眺めていたい。自然と触れ合いたい。
人と集まって他愛もない話がしたい。話すことにも違和感を覚えるようになってしまった私だが、また人と集まって楽しくお喋りがしたい。
研究がしたい。これはもう言うまでもない。私は10年以上研究活動に全てを捧げてきた。それでも人間関係に気を取られて博士論文を完成させることができなかった。もしこの脳が治ったら?私はまた調査に行っても良いから博士論文を完成させたい。
これらは皆過去の私が自由に行っていたことだ(一人キャンプを除いて)。それがまたやりたい。過去の私に戻りたいという思いがまだ私の中にはある。それはきっと一生あり続けるのだろう。私は再発した2022年の手帳をまだ持っているけれど、傷つくのが嫌でしっかり目を通すことができない。2022年4月が人生のピークだった。仕事も研究も、何もかもうまく行っていた。うまく行く予感がしていた時だった。
今はもう2024年4月だ。あれから2年が経った。何もできないまま。
これからまた何年も年を重ねていくのだろうと思う。辛いけれど、今できることを淡々とやるのみだ。
この2年で私がやったこと。それは仕事を複数回やめたことと、障害者手帳と年金を取ったこと、パブリックアートにかんする講座を5回何とか終えたこと、就労継続支援A型を9ヶ月程度続けたこと、闘病記を書いたこと、通院を続けたこと、そのくらいだ。
色々やってきた、と言えるのかもしれないが、脳が働かない状態でこれらを行うのは輝きを失ったダイヤモンドみたいな感覚だった。
これからも人生は続く。私は死ねないから、生きなければならない。両腕をもがれたような状態でも、生きる以外に選択肢はない。神様は見てる。
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