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別離

急性期の暴走で私は多くの友達を失った。家族からも無視されるようになった。それは私にとって生きている意味を見失うくらい辛い事だった。この絶望、読者の皆さんは想像できるだろうか?

私はもともと人と同じようにして生きていたことはなかったから、マイペースにやっていたのだけれど、周りは私を勝手に判断して見下してくることがある。今の私は、独身、女性、障害者、無職、どれをとってもアドバンテージにはならないことばかりで、周りの言葉も単なる無責任な思い込みとしか思えずに、落ち込むことばかりだ。

だけど、私は今の自分に、というか、こんな自分に自信を持ちたいと思っている。こんなに辛い闘病を耐えている自分は、本当に凄すぎると思えてしまうからだ。他の人が体験したらもう一週間で自暴自棄になって捕まるんじゃないかと思うくらい、この闘病は辛い。実際に傷口が見えるわけではないから想像してもらいにくいけれど、この脳の病気はじわじわと人の幸せを蝕む。

そんな中で、病気で離れた友達にかんしては、もう仕方ないとしか言えない。私の病気を理解してほしいと願うけど、それは簡単なことではないだろうし、私にそこまでの魅力がないと言われたらそれまでだからだ。そして、そこまでの友情だった。それに尽きる。

家族ももう期待できない。家族の中で障害者への差別があることは正直、とてもショックだったけど、理解しようとしてくれない人たちにいくら頼んでも無駄だと思う。どうぞご自由に、普通であることに縛り付けられて生きていって下さい、と思う。

私はそれらのしがらみからはもう自由になりたい。

私は一度家族から見捨てられた、それは事実だ。家族は私の入院時、もう私とは一緒に住めないという手紙を出してきた。どうでもいい普通にこだわって、私がどんな思いをすると思うか、想像することもなく。だから私はもう家族には何の期待も信頼もしていない。かかわっていてもどこかで冷めた気持ちでいる。

友達だって誰とでもなれるわけではない。今の私は懐疑心が強いから誰に対しても疑う気持ちを持ってしまうし、結局離れてしまうだろうと悲観的になってしまう。友情はそんな簡単に育めない。友情は数でもない。

だけど、こんな風に考えてしまう自分自身も、怯えた自分も、尊い存在として抱きしめてあげたいと思う。ここまで追い詰められて不幸を味わっている私は、誰よりも生きている価値があると思えて仕方がないのだ。

別離は寂しいことだ。集団の中の孤独も寂しすぎる。だけどそれでも私は私自身を大切に思う必要がある。これは私が、隠キャとして生きるための重要な課題だ。私は私として存在し続ける必要がある。誰に迫害されようとも、存在して、発言し続ける必要があるのだ。

これからどんな思いをしようとも、逃げても、何をしても、とにかく存在し続ける。そして妥協はしない。それだけは自分に課していこうと思う。絶対に、絶対に。

コメント

  1. 灰メタル より:

    ブログでしか知りませんがヨギさんはすごく頑張っていると思います。
    統合失調症は自尊心をことごとく潰してくる病気だと思います。
    変わってしまった自分が何より惨めだった事を覚えています。
    私はただただ引きこもって寝ていました。
    家族には悪化していると思われていたかもしれません。
    それでも自分を受け入れ脳や気持ちを整理するのには必要な時間だったと思います。
    応援しています。つらい中本当によく頑張られてると思います。

  2. cyp_yogi cyp_yogi より:

    灰メタルさん、ありがとうございます。私は頑張っているのでしょうか、頑張っているとも思えず不安になってしまうことが多いです。でもそういう風に言ってもらえると励みになります。少しずつでも歩いていければいいなぁと思います。

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