
私は多くの人から存在ごと排除されるようになったが、それでも私はまだ生きている。たしかに存在している。暑い日々のなかで、冷房がきいた工房でチョコレートをカットしている。
今日も少しだけ希死念慮が湧きながら作業所に行き、作業をしてきた。今日は少しリラックスして作業ができたような気がしている。利用者のお喋りが自然に耳に入ってくるが、どこに参加していいのか分からないような話だった。
何人かの人から、明るくなったと言われるようになったが、自分ではあまり変化が分からない。昔はすぐに死にたくなるような絶望感があったが、作業所の利用者さんと密にかかわるようになってから、そういうものは少なくなったような気もする。よく分からない。月に50分のトラウマ治療がいいのかもしれない。たしかにトラウマ治療に行くと、自分を大切に扱えている気がする。治療の意味はある、そう感じる。トラウマ治療をするようになってから、夕食を作ったり、たまにヨガに行ったりするようになった。
過去は消えない。楽しかった思い出も、苦しかった記憶も。過去も現在から再評価されていくものだけど、私はこれまでの過去から現在において、人を大切にして生きてきたと思う。ほとんど全てを失った私だが、それでもまだ光はあり、その光とは私の愛への覚悟みたいなもので、私はかかわった人たちを憎しみながら、愛しているのだと実感している。愛は難しいけど、もっとも尊いものだから、たとえ愛が返ってこなくとも、ただ愛せよ、と恩師から今日言われた。恩師のことばはいつも鋭いけど深くて届くような届かないような、そんな気持ちにさせられる。



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