
ノンアルコールビールを飲みながら、この文章を書いている。
私が書くことはいつも、生きてて偉い、病気を抱えながら、生きてて偉いということで、日々代わり映えがないのだけれど、それを今日も書くためにパソコンに向き合っている。
今日も悪夢を見て、私の病前は遊びつくしていたんじゃないかと思った。気に入った男の子に声をかけて断られたりしたことを思い出して、嫌気がさしながら、なんとか作業所に行き、作業をして帰ってきた。作業所に行く前はいつもとても緊張するし、苦しい気持ちになる。もし失敗したらどうしようとか、そういうプレッシャーに苛まれるのだ。工賃550円の作業所の作業にも私はとても緊張する。工賃は関係ない、責任の部分が怖くて仕方ないのだと思う。なんとか2時間を終え、帰路に着くことができて、よかった。
思えば、モテたことなんてなかったのに、モテたと勘違いしていた病前だった。振られてばかりの人生だった。私の思いは通じない、それを私は今までの人生で実感してしまった気がする。
それでも、それでもだ。通じない思いだとしても、温めることに意味があるように思う。この世の中で選ばれる人間なんてそんなに多くない。捨てられた人間にも人生は続く。中島みゆきのわかれうたじゃないけれど、道に倒れて誰かの名を呼ぶような感覚を抱いたことのない人間に、愛なんか語れるだろうか。
私は一生今のB型作業所を利用するかもしれない。小さくなりながら、自分なりに社会とかかわっていくのかもしれない。それでも、いいと思う。生きて、私は、私なりのことばをこの世界に発信していく。



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