
最近は、障がいや支援などについてよく考えている。
今の段階で考えていることをここにまとめておく。
私にとって病気とは自分の存在がゆらぐ経験だった。実際に私は陽性症状の際に私が分裂して多重人格のようになった。だからこの結論はすごく腑に落ちる。
私にとって病気とは人生を根底から覆す暴力的な出来事だった。人生の多くのことを変えるので、医学的視点だけで捉えていても、病気はよくなっていかないように個人的には考えている。そこで福祉などの支援、「声がけ」による、存在の肯定が必要になるのだ。病気で壊れた自己をもう一度再構築する多様な試みが不可欠なのだと思う。
病気、すなわち障がいを抱えて生きることは、思っている以上に辛く苦しいことだ。健常者の自立的自己なんて成立しない世界線に生きることになる。
依存しあって、時に介入すらしあって自分軸をぶらしながら生きる弱さの共同体のようなものが、セルフヘルプグループにとっては要なのだろうと感じる。痛みを抱えながら生きるというのはそういうことだと思う。
だからこそ私は障がい者の親密圏みたいなものがあるという仮説を立てていて、それはバウンダリー(境界)のような個人主義的な「私とあなたの線引き」では語り得ないものなのではないかと考えている。痛みや弱さをかかえて集う人々の空間のなかに、自立的な自己なんてどこにあるの?と思ってしまうからだ。
その空間は以前から私が言う、障がい文化が育まれるつながりがあるところなのかもしれない。私は今、自分が障がい者として生きていることに慣れつつある。障がい者としての所作(作業所に通う、デイケアに行く、通院する、リカバリーストーリーを語る….)みたいなものを養うことを通じて、自分の存在を確かめているような気がする。



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