
悲しみのはてにあるもの、それはなんだろうか。
私は絶望のはてに、コーヒーとことばを見出した。コーヒー、ことば、そして日常の風景、それらが絶望した私にとってたしかな救いだった。
生きることは確かに苦しい。辛いことが多い。
だけど、生き続けることによって、輝いてくるいのちの価値みたいなものを私はやはりまだ信じている。だから安楽死を望まない自分がいる。その価値はどのようなものか、と聞かれると、大きなことではなく、日常のちょっとしたことにある気がする。なんとなく笑いあえたこととか、なんとなくいつもの風景が綺麗に見えた時とか….。
小さなことでも底を見た人間にとっては十分に心が動く。
だから醜くても、生きて、少しだけでも感動できることがあればいいなと祈っている。生きることとは楽しいだけではない、生きることは闘いそのものだ。
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