
精神障がい者になって、社会的に置かれる立場が変わった。
私は多くの社会的信用を失ったし、それでもまだ生きているのが不思議なくらいだ。健常者時代の私は、社会には健常者しかいないと思っていた気がする。障がい者のことなんて目に入っていなかった、たまに自己肯定感を高めるために募金をしていたけど、それも移民や難民に目が向いていて、国内の障がい者という存在は不可視化していた気がする。
今も私は作業所で、健常者に囲まれ、透明人間になった気分になる時がある。私は生きているけど、死んでいる。そういう境地に追いやられる時がある。その時の私の尊厳はどこにいくのか?どこにも行かない。私のなかで、静かにメラメラと燃えている。
私は、たとえ仕事ができないとしても、たしかにここに生きて、命を続けている尊い存在なのだということを、いつも確認していきたい。私は20年あまり、ことばと考えを扱ってきた。でも今の私にはことばも考えもうまく扱えない。でも私はことばを書いていく。私のことばは、奪われたものの最後のことばである。これは生きていることの証明でもある。たとえ意味はなくとも、私のことばにはたしかに力といのちがある。
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