
B型作業所に行くことは闘いだ。朝(昼)はいつも「行きたくない」気持ちでいっぱいになる。たかが2時間、されど2時間、行く前にはとても大変な思いをして、私は作業所へ行く。健常者にはこの気持ちはわからないだろう。この行きたくない気持ちは健常者の時には感じたことのないような、根源的な生命の抵抗、障がい者であることの拒否だと感じる。
両親は作業所に行けと言ってくる。今の私にはそれしかないからと。私はその圧力もすごく嫌だと感じる。たまに休む、それは障がい者の特権ではないのか、休ませてくれ、そう思うけど、両親はそれを乗り越えれば良くなっていくという。一種の根性論宗教だと思う。
私はたまに作業所を休みたい。仕事ができる人なら仕事を休みたいなんて思わないだろうが、今の私は仕事ができない。できないのにやらなければいけないのが辛くなる。作業をしているうちに、気分が良くなってくることもある。だけどこの病気を抱えて、働くことはなかなか難しいのだ。
それでも私はB型作業所を楽しいと感じる。今の私でもできることがあることが本当に嬉しいのだ。健常者から見たら、おままごとだと思われるかもしれないけど、私はそのおままごとを週4で真剣にやっている。
作業所に通う人は、自分が障がい者になることを認めなければならない。それは手帳をもらうことくらい、ある決意の行為だ。それを乗り越えて、皆作業所に通っている。
好き、嫌いが入り混じった作業所という場所を今の私は本当に大切に思っている。作業所が作業所として、障がい者の居場所と職場であってよかったと感じる。作業所の特殊性はなかなか伝わらないかもしれないけど、B型作業所はカフェでも図書館でもなく、困難を抱える人たちにとってのかけがえのない職場であり居場所なのだと言える。



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