
障がい者になり、支援を受けるものになって、支援とは何か考えるようになっている。
支援とは一体何なのか?
助けること。一人でできないことを支えて、できるように促すこと。
辞書で引いてみたら、支援とは援助のやや改まった表現と書いてあった。では援助を引いてみると、(じり貧状態にあったり、挫折しかかっていたりする当事者に対して)プラスの方向に向かうように力を貸してやること。とあった。
なるほど。
私は自分自身が障がい者になった経験から、結局、支援とは「声がけ」だと思った。
なぜなら、私が作業所や支援者から
「大丈夫ですか?」
「調子はどうですか?」
「何か困ったことはありませんか?」と聞かれることが、
救いになることがあるからだ。その声がけで、自分はたしかにいると実感することができるからだ。そういう意味で、声がけは人の存在承認である。「あなたはここにいていい」と知らせるサインである。
働けるように「支援」してもらう。わかりやすく説明してもらう。
声がけひとつで促される力がある。何とか生きようとする力がある。
その力を信じて、積極的に支えてもらうのだ。それは甘えに見えるかもしれないけど、そもそも甘えも悪いことではないし、甘えてでも、生きることができれば、それで十分なのだ。障がい者ははたから見ると甘えた世界に生きているかもしれない。だけど障がい者にとってうまく甘えることはまた大切な生存戦略なのだ。逆に言えば、私のようにプライドが高く、うまく甘えられない障がい者は詰むかもしれない。「助けて」と言いにくい人、助けにくい人は、支援を受けにくい。はっきり「助けて」と言っても無視されるような世の中で、支えを受けることは簡単じゃないと思う。だけど、だからこそ、甘えることやできないことを自分に許して、人に助けを求めることを恥じないでほしい。不器用な私たちは、支援を受けてでも、したたかに生きよう。
そして、挨拶や声がけが自然に交わされ、支え合う、助け合うことが当たり前の社会であってほしいと願う。
支援する側がされる側より、力を持ってしまう関係はたしかにあると思う。そこで虐待やハラスメントなどが生まれる。だけど、支援される側、する側も、尊厳においては対等な関係なのだということを、決して忘れないでいたい。私たちは生きるために積極的に助けられているのだ。感謝は必要だが、支援を受けることを卑下する必要はないのだと思う。
また、私もピアサポートの立場から、声をかけることができる。
私ならばこう声がけしたい。
「今日よいことは何かあった?」
あまりいい声がけじゃないかもしれないけど、いつか当事者に聞いてみたい。
私が理想とする支援とは、力のやり取りではなく、存在を確かめ合うことなのかもしれない。



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