
2022年に再発後、私はアイフォンで写真を撮ることが好きになった。再発前より言葉がうまく使えなくなったからかもしれない、イメージの力に頼るようになった。まったくうまくは撮れない、だけど食べ物や風景、自分の写真などを撮り続けている。自分の顔は、なぜ撮るのだろう?太った自分を再認識したいのか、撮り続けている。
今日は地元の写真展に行って、50点ほど、上越の冬の風景を中心に見てきた。やはり雪が印象的だった。上越には雪がないといけない。雪とともに私たちは生きている。雪は邪魔なものだけでもなく、空気をきれいにするし、風景を新しくする。雪とともにあった上越の風景は美しかった。
ただ、きれいな写真ばかり見ていると、そんな現実はきれいじゃない、と感じてしまう。写真家は、きれいな瞬間をうまく撮ることが大事なんだろうけど、私はもっと病んでいるものにも惹かれるような存在になった。写真というイメージをいくつも見て、私は心に響くイメージってなんだろう、と感じる。雪国うまれの私には、雪の冷たさが心に響くのかもしれない。濱谷浩の雪国のような雪の捉え方をして、雪にオロオロと翻弄される人間を写すのもいいのかなと思う。
きれいなものばかりが、心に響くわけじゃないはずだ。私は心や魂を大切にしたいと心から感じる。魂でイメージを見たいし、心でイメージを受け取りたい。



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