昨日はA型のモニタリングのために地元の福祉交流プラザまで運転していった。
福祉交流プラザに行くのは9ヶ月ぶりくらいだったから緊張していたけど割とすぐに着いて安心した。
この病気を再発してから、運転が疲れるようになった。大好きだった運転が苦手になったのは、本当にショックだった。集中力が持たないことと関係しているのかもしれない。
私は東京が好きだが、正直田舎で発症してよかったのかもしれない。と言っても実際には田舎を飛び出して東京で保護されてしまったのだが、もし東京に住んでいたら、もっと大変なことになっていたような気もする。大都市の複雑なシステムについていけなくて疲弊していたのではないかと思う。今も田舎だから運転できている。私はやっぱり私の住む上越という地が好きだ。京都の文化をほのかに感じるこの地を愛している。発症前はもっとそんな風に、誇りに感じていた。
さて、でも、いつもの通りの問いかけだが、私の脳はいつまでこのような状態なんだろうか。考え出すと、もどかしい気持ちでいっぱいになる。ずっとこのままかもしれない、いつも疲れてながら生活していなければいけない。そうならば事故にだけは気をつけなければいけない。
治らない日々を過ごしているが、その状態に慣れつつある。昨日はタリーズにも行くことができた。店員のおばさんがハキハキと接客してくれた。元気で、カフェで働けて羨ましいなと思った。
私はこれから一生、他人を羨ましいと思って生きていくのかもしれない。
私の人生とは何だったのだろうか、全盛期は2022年4月だった。今は辛く苦しい闘病期だ。正直後40年なんて長すぎるし、両親には私の前に死んでほしくない。本当に一人になりたくない。10年経っても寛解しないかもしれない、そんな風に何でも悲観的に感じてしまう。
私は、私の人生は、何の価値があったのだろうか。答えが出せないままに今日もただ生きている。
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