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中途障害者になってみて

私はいつから障害者になったか?

それは2023年1月からだ。そこで精神障害保健福祉者手帳2級を交付された。

私はいわゆる中途障害者、人生の半ばで障害を抱えることになった。初めは手帳申請にも躊躇があった。障害者にはなりたくなかったからだ。当時、私の中には障害者に対する偏見があったのだと思う。

でも、それから障害年金も受給することになり、私は障害者としての生活を一年以上過ごした。

障害者になっても自分自身の価値は何も変わらなかった、と感じているのが正直なところだ。

私の障害は身体障害と比べて見えにくいこともあるかもしれない。

だけど私は脳の障害により、集中力や記憶力、行動力、社交性など様々な力を失ったので、私の労働力としての市場価値は格段に下がった。

それでも、病気を通じて深く人間性が揺さぶられる経験を通じて、人間としての価値は深まったのではないかと思っている。これは単に自己認識なので他人から見ればきっと違うだろう。でも大切な自己認識だと言いたい。

私は暗くなった。病は人を暗くするからだ。

多くを失ったトラウマから自分に自信を持つことはできないが、それでも闇を見た、という点で、自分の人間性は深まった。

障害を持つということは困難を背負って生きるということだと思っている。

私には今多くの困難がある。

だけど、その困難は私に生きることの意味を問わせてくれているようにも感じる。

生きる意味とは何か?

それは簡単に答えが出るものではない。

だけど、希死念慮に苛まれながら、それでも生きようと決意を重ねるその一連の流れのなかで、

生きることとは、まずは死なないで、存在すること、在り続けることという結論には辿り着いた。

今の私ができることは少ない。

それは40年間積み重ねてきた「私」という自尊心を根本から崩壊させていった。

能力主義の世界では、私は落ちぶれた、厄介者の役立たずである。

だけどできることが少ない中でも苦悩しながら、痛苦を通じて毎日を生きていること、それ自体が生きることなのではないかと思えてくることがある。

味方も少ないかもしれない、だけど確かに今ここに自分は生き、キーボードを叩いている。

そこに希望を抱き、呼吸を続ける。それしかできない。

今はそれでいいと思っている。もう回復も成長もできないかもしれない、それも仕方ないことだ。

中途障害者が何とか生きていることで開かれる世界もあるのかもしれない。

悲劇的な結末が待っているにしても、その結末を私はきちんとこの目で見なければいけない、それが生きるということなのかもしれないとも思う。

朝はいつも絶望して起きてしまう、だけどその絶望も、絶望こそが生なのだ。

こんな苦悩を味わったことがなかったので、私は中途障害者になった自分を愛おしいとも感じる。

私にとっては健常者時代の苦悩は苦悩のうちに入っていなかった。

苦悩の中で生きている中途障害者としての自分の価値は市場価値では測れない厚みがあると断言する。

多様で深い生のあり方を能力主義に回収させないこと、それは人間の尊厳にかかわる根源的な問題だと言える。

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