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昔の記憶

すきゾの弱音グループでは頻繁にチャットをさせてもらっている。今の私のかけがえのない居場所だ。

今日はそこである人が「思い出すのが辛いから過去の記憶がなくなればいいのに」と言っていた。私はそれはないと返答した。なぜなら私にとって過去の記憶は綺麗で甘酸っぱく、何にも変え難い貴重な体験ばかりだからだ。それは私が健常者だったからかもしれない。健常者時代の私はやりたい放題だったなぁと今振り返っても思う。その大切な思い出をなくしてしまうのは、自分がなくなるくらい辛いことだと私は思った。

私の人生は波が多かった。今は陰性症状でほとんど動かない時を過ごしているが、それ以前は常にビッグウェーブに乗っているように思うくらい、常に何か出来事がありそれに翻弄されることが続いていた。でも今思うと全て楽しかった。大失恋も失恋も経験した。だけどそれも全部青春だったと今は思える。

私の人生は標準からは外れている。結婚して子供を産んで、といういわゆる普通の人生を歩むことはできなかった。そして今は障害を持って生きている。何かにつけて希死念慮に苛まれるような日々だ。「もう死にたい」「もう皆死ねばいいのに」「殺してやる」そういう言葉が自分の中から溢れてくることがある。

生きるのは辛い。だけどそんな中でも昔の記憶は私に安らぎを与えてくれる。あの頃はあんなこともできていた、こんなこともできていた、と懐かしむことができる。私にとって昔の記憶は、かけがえのない生き続ける意味であり、これがなければもう自分はいても仕方ないだろうと思ってしまうくらいの厚みを持った価値がある。昔の記憶に生かされている自分がいる。

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