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頑張らないと頑張ること

4月になったが私の心は相変わらず後ろ向きだ。キラキラしていた過去に対して今は全く冴えない。日々なんとか生きているような状況だ。

昔の自分は努力が好きだったし、心地いいものだと感じていた。だけど今の私は努力ができなくなってしまった。頑張ることができない。だから人から「頑張って」とか「頑張ろう」とか言われてもしらけてしまうところがある。

そもそも今、こんなにも何もできない状態で生きている時点で私はもう十分に頑張っている。なのにこれ以上頑張れというのか、これ以上、私から何を搾り取ろうというのか、と感じてしまう。

私はもうこれ以上何も頑張ることはできない。存在しているだけでこんなにも苦しめられ追い詰められているのに、側から見ると「安定している」と思われてしまうくらい、おかしな病気にかかってしまったからだ。

もう私は頑張ることを諦めた。仕事も、無理にしなくてもいいと思っている。何もしなくても存在しているだけで、それで十分ではないか。世の中には働けない人達もたくさんいるのだから。本当にできないのだから。

成長、前進なんて正直馬鹿馬鹿しい。人生を大きく壊してしまった人間からすると、そんなアメリカンドリーム的なストーリーは表面的なものでしかないと思う。成長や前進からこぼれ落ちてしまった人たちのいく場所はどこにあるというのか。一生同じ状態で、同じ状態の悪さで、壊れた脳で生きていかなければいけない人だっている。私を含め、現状の悪さを維持していく人たちに、成長や前進なんてなんの意味も持たない。

でも一つ確かに言えるのは、そんな中でもアートは人を救うということだ。アートは成長や前進ではなく、上手い、下手の次元だけでもない。洗練されたアートは確かに美しいが、人に伝わるアートは上手さだけが重要なのではない。そう考えると以前の私は上手さにこだわっていたのではないかという気がしてくる。アートにはもっと根源的な表現が求められてくる。

私は自分の存在自体をアートだと思っていきたい。生きることはアートそのものだからだ。普通から大きく離れた自分が、下手なりに一体これからどうやって人生をアートしていくのか、答えは全く出ていない。だけどできる限り自分自身を信頼して、存在していこうと思っている。

今日からは新年度の始まりだ。病気になって2年目に突入しようとしている。

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