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みんなで大きな絵を描くということ

2017年8月28日cyp_yogi撮影 イーストロサンゼルス

今だけ、金だけ、自分だけの世界で、生きづらさを感じる人たちは少なくないだろう。

本当は、今だけ、金だけ、自分だけなんかじゃなくて、全てはつながっていて、関係して生きているのに、臭いものには蓋をして序列をつけて見下していく競争化社会が色濃くなっていると思う。こんな状態じゃ自殺希望者が増えて当然だ。命より金の方が大事だと思わせるような発言をしてくる人たちもたくさんいる。

私は2010年に大学院に入り、米国に住むメキシコ系の人たちの壁画制作の公共性について研究していた。正直はじめは自分で何をやっているのかよくわかっていなかった。研究のけの字もわからなかったからだ。今だってわかっているのか不明だ。私は何もわからないまま、真似事をしていただけだったのかもしれない。

頭が悪くなった今は、一体あの期間は何をやっていたのだろうと思う。今はもう昔やっていたような現地調査もフィールドワークもできない。論文も書けない。撮り溜めた資料が残っているくらいだ。インタビュー資料はどこへ行ったっけ?というくらいの様だけれども。でももらった言葉は今も自分の中で残っているし、出来の悪い修士論文の中にもおさめた。壁画で、アートで社会を変えた人たちは本当にいた。

コミュニティがお神輿を担ぐみたいに、壁画を描く。そういう特徴が米国のイーストロサンゼルスにはあった。そこまでは結論が出ていた。壁画はまるで祭壇のような位置付けになっていたのだ。地域で亡くなった死者を弔ったり、希望を信じる祈りの対象にもなっていた。私も自転車に乗って何点もの壁画撮影をしていた時には、壁画に祈った。かつてあり、今はない壁画もたくさんあった。新しく出来上がっていた壁画もあった。私はロサンゼルスの壁画リストを元に調査をしたが、名前がついていない壁画も、本当に沢山あった。グアダルーペの聖母やグラフィティは本当に無数にあった。

壁画はコミュニティの住民たちが皆で描くことが重要だった。みんなで大きな絵を描くことはとても大変なことだ。だけど壁画家が主なデザインを考えて、実際に地域住民たちはそこに色を塗っていった。作ることで暴力が増えることを回避し、何とか生き延びていた。

私はみんなで絵を描くことに大きな意味があると思っている。音楽は皆でやることができるけど、絵はたいていが個々人で描く。だけど絵も皆で描いた方がもっと創造性があるものになるのではないかと思う。何もかもを一人でやるのではなく、一緒にやる、大勢でやるということを今もっとみんなでやってみることができると思う。

絵に限らずとも、文章でも何でもそうだ。個人でやるのではなく、みんなで協力して作っていく。

作品の質として、よくわからないものが出来上がってしまうかもしれない。だけどそれも含めて創造性を受け入れること、そこから公共性が作り上げられていくのかなとも思っている。公共性というキーワードはよくわからないと思う。広く社会に開かれている性質のように思ってもらえればいい。公共性の問題には常に排除される存在が考えられる。皆で絵を描けない人たちもいる、皆の中に入れない人もいるのだということ、そこが大きな問題だ。

アートによって社会が開かれていけばいいと本当に願う。アートは高尚なものだけではない。イーストLAではアートは日常的なものだった。日本ではまだまだアートは何か、隠すもの、守るもの、アーティストだけが作るものという発想が強すぎるように思う。

変えるアートという意識で、どんどん地域に壁画が制作されればいいと思う。アートとは美しいだけじゃない、汚いものでもあるのでないか?と最近感じる。

今、私が壁画かグラフィティを作るならどんなものを作るだろうか?

LA VIDA ES DURA 「人生は厳しい」かもしれない…。

それが今の私の根源的な叫びだ。格好つけて身の丈に合わないカメラを買って調査をしていた時よりも、今の方がずっと路上の表現に近い心持ちだと言えるかもしれない。当時もイーストロサンゼルスで生きることは決して楽なことではないと感じていた。私は何もわかっていなかった。研究は私にとってファッションだったんだと思っている。

このブログは私にとっての壁画だ。

自分一人で書くのではない形で書くことができないか?と考え始めている。

コメント

  1. 田村多美 より:

    非常に興味深く読みました。絵をもっと開かれたものにしていくということかと思いました。同時にその中でも排除される人がいるという視点も重要だと思いました。絵に限らず共同あるいは連携で行うもっと公共性のあるアートの可能性に気づきました。そこには個人を超えたものが顕現する可能性があることを感じました。

    • cyp_writer cyp_yogi より:

      はい、絵を開かれたものにしていくということ、まさにその通りだと思います。美術館に行かなくても日常でアートに触れられる、そんな環境が作られていけば世界は本当により創造的なものへと変わると思います。祭りはある時期その瞬間のものですが、壁画は保存され、神社寺教会、記念碑のような役割も果たしうるので、その点も公共性が高いのかなと思います。

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