
自分を軽視されていい気持ちのする人なんていないだろう。誰でも自分を特別に大切にしてほしいと願っていると思う。私もそうだ。私も自分で自分を大切にしたいし、周りにも私を大切にしてほしいと願っている。
だけど私はこの病気になってから周りからの扱いは悪くなった。おまけに私は太ったし、薄毛だし、中年だし、見た目のアドバンテージはもうなくなって、誰からも特別扱いされないようになってしまった。かつて無意識に持っていた自分のプライドや選民意識はもうどこかに行ってしまった。私は変わらずをえない状況に追いやられている。
そんななかでも月に一度、自分をケアするために新潟市までトラウマ治療に行くと、私は自分を自分で丁寧に扱ってあげたくなる。心の治療は本当にあるのだとな治療で実感する。刺激もそうなのだが、自分で自分に投げかける言葉やカウンセラーの先生から受ける言葉に癒されるのだ。私はまだここにいていいんだよ!と言ってもらえるような気持ちになる。私はついつい自分を責めて生きている。何かあるとすぐ、自分が悪いのか?と自分を疑ってしまうのだ。
トラウマ治療に行くと、その気持ちが和らいで、自分が自分でいていいんだと肯定された気になる。どんな自分でも大切な自分なんだと。それは今の私にとって本当に必要なケアだ。私はそうやって人とのかかわりを少しずつ前向きにも捉えられたらいいなと祈っている。私は私の言葉を持って、今この時に生きている。私にはいつでも拒否権がある。尊厳を持って生きるということは、いつでもノーと言える権利を持つことでもある。ノーの言い方は考えることができるけど、ノーと言える権利が障がい者の自分にこそあるのだという事実を、いつでも自分の胸に刻んでおきたい。
そして、言葉を、人と自然とつながるためにも使えるような、そんなあたたかい人間になっていきたい。


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