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比べること

比べやすい社会なのかなと思う。そもそも人は比較からは完全に自由になれないのかもしれない。
SNSでも他者の幸せは流れてくるし、勝ち組、負け組、よくわからない他人軸のレッテルは貼られやすい。
私はずっと比較じゃないと思って生きてきた。人との比較じゃない、大切なのは自分との闘いで、自己満足をどれだけ繰り返すことができるかだ、そう思ってきた。

でも今は作業所でも、できる利用者さんと比べられるし、自分でも比べてしまうし、SNSでも結婚したりプロポーズされた人の話を聞くとうらやましいと感じる。自分は「負け組」なのではないか、そう感じる時もある。

でも、でも、だ。負け組なら負け組でいいじゃないか、とも感じる。私は博士論文に挑戦して、みごとに敗退、挫折した。それは確かにものすごく辛いことだったし、病気で能力が衰えたので、普通に働くこともできない。

でも、でも、だ。自分なりに闘った人生だったと思う。ハラスメントと闘い、恋愛で闘い、家族の問題で闘い、社会問題で闘い、私はその時々で全力で闘ってきた。もちろん正しくなかったことも沢山ある。過ちも沢山犯した。だけど常に一生懸命だった。

たとえ落ちぶれて、世間からは負け組とみなされていても、やはり、闘いというのは常に自分との闘いだと感じる。富裕層でも自殺する人がいるように、現代社会の問題の本質はただ貧困にあるわけではない。もちろん貧困は重大な問題だが。

私はプロポーズもされない人生だった。ウェディングドレスも着れなかった。自分の家も車もない。生活保護一歩手前、世間的にみたら、「精神障害者の痛いこどおば」、例の何もできない状態で親が死んでしまう、美緒48歳のようなものだ。

それでも比較は本質ではないと私は考える。美緒48歳にも、自分だけの人生がある。他人の人生を人は生きられない。どこまで行っても、自分という呪いから解放されることはない。相手の肌と自分の肌を比べて、自分の肌の方がきれいだとしても、それがなんだ。相手は持病を抱えて肌トラブルを持っているかもしれない。背景なんて何も知らない安易な比較は暴力でもあると思う。比較は楽だけど本質じゃない、私はずっとそう思っている。

だから、まず、私は比べることはほどほどに、今を生きてみたい。あちこちで虐げられて辛い人生で終わるかもしれない。あいつは結局どこに行っても通用しなかったと思われるような存在かもしれない。恩師からはトラブルメーカーと言われたこともある。

そんな私と、私は一生付き合っていく。ときに自己嫌悪しながら、この容姿で、この性格で、この能力で、人と社会と接していく。比較はいつでもまとわりついてくる。他人だけでなく過去の健常者時代との自分とも比較してしまう。だけど。

生き抜いた結果は悲劇しかないかもしれない。でも悲劇ならばなんだ。私はその悲劇もかけがえのないものとして味わい、自分の人生にさまざまな色をつけて、時に残酷だと感じられる形でも、新しい世界を体験していきたい。

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