
残りの生涯、私はコーヒーを飲みながら、拙い文章を書いて過ごしたいと思っている。誰のために書くのか?一番は私自身のために。書くことは私にとって祈る行為のようなものだ。書くことで少しずつ自分の罪と向き合っている。私は今まで自分勝手に生きてきて、多くの人を傷つけてきたから、書くことで、少しずつその罪を告白している。もちろん私も傷つけられてきた。私は加害者であり被害者であることを、私はいつも文章を書くことで確かめている。
二番目は今苦しみを抱えている人のために。本当に苦しんでいる人は文章も読めないかもしれない。だけど読める状況になったら読んでほしい。苦しみから逃げられるのなら逃げて、ことばの世界に入り込んでほしい。あなたの苦しみを私はことばを使って少しでも和らげたい。これ以上は自分を傷つけないでほしい。優しくしてあげてほしい。私はあなたの味方だ。会ったこともないかもしれないけど、あなたがいてくれて、本当によかった。
別の文章でも書いたけど、生きることは苦しみだ。その苦しみの海のなかで、生きることは必死の抵抗だ。笑っていても泣いているような人が多い。探り合い、騙し合い、裏切り合いの人間関係のなかで、私たちは光を探す。その光は妄想かもしれない。それでも私たちにたしかに生きる力を与えてくれる輝きなら、妄想だっていいじゃないか、そう思う。私はことばを使って一筋の光を生み出す人になりたい。そう、私にとって書くこととは祈りであり、この世界にたいする信頼へのつながりなのだ。



コメント