健常者時代の友達とはほとんど縁が切れてしまった。たまにこちらから連絡をして数回やりとりをするくらいが関の山で、後はもうすっかり距離もできてしまった。全く音信不通の人もいる。私が変わり、かつてかかわっていた人たちとは住む世界が違くなったという実感がある。
社会階層とはなんだろうか。私はそういうことをこれまで全く意識して生きてこなかったが、病気になり、社会において階層の高い、低いはあることを肌感覚で知った。健常者時代の私は見た目にこだわり、ほとんどのことが見た目だと思っていた。今は見た目にこだわりたくともこだわれない、だらしなく生きる以外に選択肢がなくなっている。
どんな私になってもかかわってくれる人は少ない。私はこれまで、人の何を見てきたのだろうかと思う。私はどんな人間関係を作り上げてきていたのだろうか。
私は多くの人に見捨てられてしまった。距離を取られてしまった。健常者の人たちからすればそのくらいのことを私はしたのだと思う。だけど私は、急性期は不可抗力だったのだからそれを踏まえて私を理解してほしいと考えてしまう。そこまで人に求めるのはおかしいことなのだろうか。きっとこういう悩みを抱えているのは私だけではないと思う。
ご縁はあって、縁がある人とはまたかかわれると言うが、どうなんだろうか。病気で爆発してしまった私を受け入れてくれる人が増えてほしいと思う。私の今は、障害を抱えた今は、それはそれで健常者時代以上に、確かな真実なのだ、友人が減ったとしても、今のこの真実を大事にしていきたい。
結婚できなかった人生も、一人の人生も、博士論文が書けなかった挫折の人生も、かけがえのない人生として、愛してあげたい。
離れた友人たちのことは、離れながらも、その幸せを願おうと思っている。
コメント
こんばんは。読んでてとても他人事に思えずコメントさせてもらいました。私は3年前にバセドウ病になり、合併症を併用したせーで目もバセドウ眼症になり容姿が醜くなりました。それまでは沢山の友人と関わり和気あいあいしてましたが、顔が醜くなったせいなのか、仲良くしてた人病気してから顔が変わった後に会ってからというもの遊ぶこともなくなり一切連絡もなくなり音信不通です。私も見た目にこだわっていたのか、容姿で人を見ていた訳ではなかったのですが、病気に自分がなった途端に周りの仲良かった友人あっさり縁が切れるのも、この程度の付き合いで関係だったんだと、所詮は顔が醜くなると友人としても成り立たないのかと。ショックでした。涙もかなり流しました。ただ罰があたり自分の内面が醜いことが今の病気でなった顔なのかもしれません。それから人前で人と目を合わせるのがもう嫌でたまりません。顔も見られたくないのでマスクは外せません。こんなに醜くなってまで女として生きてるのも正直つらいです。
だけど、病気の顔になってもこんな醜くても連絡とりあって話してくれる友達を今は大事に大切にしてます。本当に有難いと思ってます。その子は顔とかで人をみてる訳じゃないので、自分がこれまでにきづいてきた友人関係が偽物の作り物だったんだと、この歳になって病気になりきずけた事ができて成長できた気がして感謝してます。
りんごさん コメントありがとうございます。そうなのですね。病気になってもかかわってくれる人がいること、本当に感謝ですよね✨