
今の私は世界情勢のことも、日本の政治のこともまったく頭に入らない。
イスラエルがガザ地区を攻撃しているとかそのくらいのことしか何もわからないのだ。虐殺が行われていると聞いても、あまりよく想像ができないくらいだ。
だけど身近に、弱者を差別、排除する社会のあり方にだけは問題を感じていて、そこだけは関心を持っている。生活保護や障害者の人権や雇用、安楽死の問題は切実に感じている。希死念慮の叫びだけはやけにリアリティがある今、これは本当に現実か?夢じゃないのかと疑ったこともあった。でも今は紛れもない現実だった。
私は妄想中の夢のなかで「お前はこれからちょっと大変になる」と予言された。そして本当に大変になった。ちょっとどころじゃない、心のなかはいつも真っ暗闇、生きている価値なんて見いだせない日々が続いている。
なんとなく思い出せる過去の私は、今ふりかえると浮き足立っているように感じる。今は病気が私の重心になっていて、病気のせいで現実は重くなり、私はいつもどことなく暗い気持ちでいる。
本当は暗いことの方が現実なのではないか、そう感じる。人生のなかで病に倒れ、自己実現できなくなった人はどのくらいいるだろうか。私はそういう人たちと一緒に組織を作り、傷をなめあう文化を作り上げたい。かつての私なら傷の舐め合いなんて弱い人たちがすることだと思っていた。だけど今、私は弱者になり、傷のなめあいの重要さ、そこにしか光を見出せなくなっている。
弱者同士も強者への憧れは強く、信頼関係なんて簡単に育めない。だけど、私は今43歳にして孤独で、つながりたいのは、綺麗事を述べる強者の正論ではなく、安い服飾店で服を買う作業所の利用者の笑顔だったり、YA文学にかかれたちょっとした言葉だったり、絵本にかかれた綺麗な絵、そういうものなのだ。
つながりたいものがある私は、本当はまだ孤独じゃないのかもしれない。私は深化して、今の私には不幸の味がよくわかる。不幸は私たちの日常にいつも存在している。人を愛する気持ちとは反対の、無関心と無視にこそ不幸はある。今の私は不幸こそがリアリティなのだ。



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