
たくさん喋ればいいわけじゃない。
多く喋ってもあとになれば何も残らない場合も沢山ある。
何を喋り、何を喋らないか。私たちはいつもそれを選択しながら生きている。
私の場合は意志で喋らないというよりは、怖くて喋れないということがある。核心に迫るのが怖くなるのだ。だから今はあまり核心に触れず、ポツポツと自分や相手、まわりのことについて話すことが多い。でも自分で何を話して、何を話していないのか、わからなくなる時もある。昔は悪口はなるべく言わないようにしていた。でも今はよく悪口(というか陰口)を言うし、今の私はあまり性格はよくない。それが正直な、今のありのままの私だ。正直に今の私はたまに人の悪口が言いたくなる。人が嫌だと感じることがあるからだ。昔は人のことなんて気にしないほど自分を謳歌していたから人の悪口を言う必要がなかった。今は悪口を言うことがエネルギーみたいになっているところもある。悪口を言う相手を気になっているから、悪口を言うのだ。
あとは、最近は、話す内容なんてなんでもいいんじゃないかと思うこともある。内容はなんでもやり取りすること自体に意味があるんだとも。そういう意味でも挨拶はとても大事だし、その時に目を見ることも、すごく大事なコミュニケーションだなと感じる。
神は私から考えることとユーモアを奪ったけど、私はそれでもなお、ぼんやりと社会のことを考え、言葉にしている。わからなくても、難しい話を聞いているのがとても好きだ。今日もNHKのラジオで国際情勢について聴いた。わかるかどうかなんて、実はそんなに大切なことじゃないんじゃないかと思えてくる。声を出して相手に投げかけてみる、相手の声を聞く、それが関係をつくる第一歩なのではないか、そう感じる。自分が人間というより動物になったと思って、過ごしてみるのもいいのかもしれない。



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